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コーネリアスの2ndアルバム「69/96」
マスヤマ:94年にファースト、95年にセカンド「69/96」で、3枚目「FANTASMA」が97年8月なんですね。ちょっと、そこらへんの話を。。。じゃあ、まずはセカンドの「69/96」の話から。お仕事として、間が当然1年ほどあるわけですよね。その間は、他の仕事をしてたわけですよね。
美島:あ、やってます。はい。
マスヤマ:フリーだから、仕事はあるんでしょうけど、途切れることもなくはないですよね。でも、コンスタントに仕事はあったと。その頃はコーネリアス専属って感じじゃなかったから。
美島:まあ、そんなに制作日数もかかってないからね。2ヶ月くらいじゃなかったかな。
マスヤマ:そんなもんでしょうね。当時は、スタジオ代とかもかかるし、ミュージシャン呼んでパッとやらないと。お金かかって仕様がないですものね。で、セカンドアルバムも、また岡さんからちょっと呼ばれた、と。
美島:うん。
1995年発表の2枚目のアルバム「69/96」。『69/96』を区切る記号は正しくはスラッシュではなく、雷マークとなっている。ゲストとしてムッシュかまやつ、暴力温泉芸者、ASA-CHANG、カヒミ・カリィ、Ellie、堀江博久、Buffalo Daughterから山本ムーグ&シュガー吉永などが参加。 |
マスヤマ:やっぱり同じように作ったんですか?
美島:今度はなんかサンプルしてループっていうのが、結構多くなったから、そこで多分初めてPro Toolsを使ったんですよ。ループするのが、すごい楽チンだな、と思って。
マスヤマ:それは美島さんが導入しよう、って。
美島:もう勝手に導入したんです。そうしたら、面白がってそういう感じに。
マスヤマ:自分で機材をスタジオに持っていったってことですか?
美島:自分で買って持っていってましたよ。あ、基本的にその辺は、僕、自分で買って、いつも更新していってるんだけど。
マスヤマ:でも、今3Dにある機材は、3Dのですよね?
美島:いや、僕のです。ほぼ。
マスヤマ:そうなんですか(笑)!
美島:うん。僕のです。3Dはハコだけって感じかな。
マスヤマ:部屋。そういう意味では、美島さんはコーネリアスの音楽制作の中で、もの凄い大きい存在なわけですね。ハードウェア的にも、ヒューマンウェア的にも。
美島:んー、どうなんですかね〜。自分で言うのは、よくわからないけど。
マスヤマ:いや、でも、今聞いていて思います。機材は当然3Dのなのかなぁと思っていたけど、違うんだ。
美島:いや、僕のですよ。
マスヤマ:じゃあ、美島さんがいなかったら、何がどうなってるか分からないわけですよね。
美島:電話がかかってきます。「ケーブル、どこ?」って。
マスヤマ:お母さんが留守の間に、お父さんが「あの、この間のパンツどこ?」みたいな(笑)。
美島:そうそうそう。「ケーブルどこ? マイクどこ?」って。
マスヤマ:でも、他の人は使うんですか?
美島:使ってますよ。3Dの他のアーティストの人が。
マスヤマ:それ、いいんですか?自分の機材を使われるのは。。。
美島:僕の機材は、その時、はけているから。
マスヤマ:そうかそうか。他のコンピュータと。。。
美島:みんな持ってきて、あそこでやってる。
マスヤマ:スピーカーとかは。。。
美島:モニのスピーカーは3Dのですね。
マスヤマ:要するにコンピュータ周りのものですよね。ラックに入っているものとか、Pro Toolsとか。
美島:うん。僕のです。
マスヤマ:そうかそうか。だから、環境を車で移動しているっていうのが分かりました。要するにお引越ししないと出来ないわけですよね。でも、本当にかなりのことがこれで出来ちゃいますよね。PCと、あとオーディオインターフェイスがあれば。。。
美島:そうですね。うん。
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1996年発表のリミックス・アルバム「96/69」。岡村靖幸、砂原良徳、石野卓球、スチャダラパー、暴力温泉芸者、hide、小西康陽などが参加。 10曲目には小山田圭吾さんの父が参加していた「和田弘とマヒナスターズ」がヴォーカルで参加しており、親子共作を果たした。 |
マスヤマ:で、2枚目の話。2枚目は、サンプラーとかPro Toolsとか増えたけど、そんなに作り方が変わった訳ではないですよね。ミュージシャン呼んできてっていうのは。
美島:結構ミュージシャン呼んで。そうですね。ただ、Pro Toolsが入ったおかげで、普通にやったやつをバラし始めたんですよ。ベースとかを。。。「俺、とんでもないものを持ってきて、とんでもない作業の負担が俺にかかるようになったなぁ。」と思いましたね(笑)。「録って終わりじゃねぇ〜じゃん。その後が凄い大変だ、コレ。」って(笑)。
マスヤマ:要するに、ハードディスクレコーディングみたいな、そういうことは小山田さん自身もイメージなかったけれど、「そういうことだったら、出来るんじゃない?」ということですか?
美島:「あれ?AメロとBメロを逆にしても、今すぐ出来るんだ!」って。「あれっ?このフレーズを前に持ってきても、出来るんだ。1回弾けば、2回目弾かなくていいの?」って。そこに気が付いちゃったってか。まあ、俺も気が付いたんだけど。
マスヤマ:ですよね。僕、Pro Toolsのこと知らないんであえて聞きますけど、初期の頃はどっちかっていうとテープレコーダーの代わり?っていうイメージなんですけど。
美島:ああ、そうですね。初期はみんなそういう風に使ってましたよ。そういう風に使っていると、「そんなに音がよくないから、なんだダメじゃん。」って、皆言うんですよ。「やっぱ音はソニーのがいいじゃん。」って。だけど、「組み換えできるじゃん!」と思った途端に、これはもう、そこでしか出来ないんですよ。
マスヤマ:それはハードディスクレコーディングって言われる前の話ですよね。
美島:ま、でも、もう始まっていたけど。うん。
マスヤマ:だから、サンプラーから、そこまでの間があったわけですよね。
美島:あ、そうそう。
マスヤマ:サンプラーは皆知ってた、と。多分小山田さんなんかも自分で使っていた、と。だけど、それの限界を知っていた訳だから、要するに。そんなに容量もないし、いわゆる短いサンプリングを楽器の代わりとして使っていたって感じですよね。で、それが、「え?これ、編集できるの?」みたいな。
美島:編集っていう概念があったかどうか、ちょっとわかんない。今は皆普通に編集、編集って言っているけど。
マスヤマ:要するに、言葉で言うと編集が出来るっていうことに。「ポスプロでいろいろ出来るじゃん!」と。
美島:あ、ポスプロって概念もまだなかったと思うんですよ。Pro Tools出た頃。
マスヤマ:ああ。80年代、僕は映像やってたんですけど、映像ではあったんですよ、全然。
美島:映像はビデオを2台まわして、前後したりするじゃないですか。
マスヤマ:わかります。Aロール、Bロールっていう。はい。
美島:そのAロール、Bロールって考え方がマルチトラックじゃないから、録っちゃったら、録りっぱなしじゃないですか。
マスヤマ:ああ、なるほどね。だから、そういう意味でポスプロっていう概念が出始めた。
美島:じゃないかな。今はもう、全然普通だけどね。
マスヤマ:どっちかっていうと、ポスプロが勝負っていう感じですよね。
美島:そうなっちゃって。今のレコーディングに変わる、多分エポックメイキングな出来事が起きていたんですよ(笑)。
マスヤマ:だから、シンセサイザーの発明は新しい楽器、サンプラーも新しい楽器にすぎなかったけど、音楽の作り方自体が変わったってことですよね。
美島:変わっちゃってますよね。うん。
[STUDER A80 Master 2 Track Recorder。テープレコーダーでの切り貼りが編集の主流だった。]
マスヤマ:それまでは、テープの職人芸の世界で、こう切り貼りみたいなのとか。
美島:ああ。でも、それも限界があるじゃないですか。全く違うものを持ってきて、ビートをぴったり合わせるなんて、みんな出来ないから。
マスヤマ:なんか、この間加藤和彦さんの亡くなるちょっと前の取材本っていうのがあって、それを読んだら、クリス・トーマスはそのテープの継接ぎがスゴかったって書いてあって、当時日本でそんなことをやるやつは誰もいなかったから。
美島:ああ。誰でもやれるようになっちゃいますからね。
マスヤマ:って、いうことは コーネリアスに限らず、世界中の人たちがPro Toolsを使い始めて。その時はPro Toolsじゃないと、編集的なことが出来なかったわけですね?
美島:そうですね。ハードディスクレコーダーじゃないと、出来ないですね。うん。
マスヤマ:そういう音楽ソフトがあったわけじゃないですものね、今みたいに。
美島:えーとね。48(48トラック・デジタル・レコーダーのSony PCM-3348)の中に2チャンだけ、メモリーレコードみたいなのがあって、それでフレーズを動かすことは出来たんだけど、ものすごい時間がかかって(笑)、チョロっていうのが出来なくて。
マスヤマ:それはテープじゃなくて、チップってこと?
美島:チップの方に一回データを移して、それを何小節目かに、コレを叩いてっていうのはよくやってたんだけど。
マスヤマ:それも、サンプラーですよね。
美島:サンプラーですよ。うん。サンプラーでやるか48でやるか、どっちにしよう、みたいな感じで。
マスヤマ:それで、割とそれは、実感として「これはスゴい事になってきたぞ!」っていう感覚はあったんですか?その「69/96」の時には。
美島:。。。めんどうくさいことになっちゃったなって(笑)。
マスヤマ:(笑)。あれだ、昔バスの運転手さんがワンマンになると、俺が全部やらなきゃならないのか、って。
美島:そうそう。なんか仕事の質が変わっちゃったな、という感じはしましたね。
マスヤマ:それは直感的に。
美島:うーん。ま、面白かったけど、新しいものだったから。
マスヤマ:ですよね。だから、当然、オペレーター的なことよりも、クリエィティブな要素が増えるわけですよね。コーネリアス以外にも、こういう仕事は結構あったんですか?
美島:あったんだけど、Pro Toolsを持っていっても、そういう概念がないから、あんまり使ってくれなかった。「音、悪いね。」みたいな感じになっちゃって。
マスヤマ:もっと普通にマルチで録って、もっとシンセでこういう音出してよ、みたいな感じだったんですね。
美島:「これ、こうやって編集してやると面白いんだけどなぁ〜。」と言うんだけど、やっぱりそこには行かなかったですね。
マスヤマ:それは、やっぱり、そういうことに気が付いて感覚だったり、センスだったり、能力があったってことですよね。その時は早かったのかもしれないけど、遅かれ早かれPro Toolsにあたる訳じゃないですか。
美島:ま、そういう事にやっちゃいましたからね。
マスヤマ:プロミュージシャンは、それに気が付かない人もいた訳ですよね。
美島:うん。
マスヤマ:それは面白い話だなぁ。それを聞くと、そういう目で「69/96」を聴きたくなっちゃった。