美島豊明インタビュー The man behind Cornelius

大学卒業・就職・シンセのオペレーター時代

マスヤマ:大学3年になると就活の時期になりますよね。

美島:大学4年の時に、コンピュータの会社でバイトしてて、そこに一回就職したんですよ。でも、一年で辞めちゃったけど。

マスヤマ:その頃は回りにはパソコン的なものはなかった?

美島:なかったですね。1980年代のことだから、当時はパソコンって言ったってNECの6000シリーズとかで。だから、コンピュータをちょっといじってみたくて、バイトしたんです。当時は、MS-DOSで、あとは普通にBASICとZ80のマシン語。

マスヤマ:マシン語やられてたんですか?じゃあ、16進でコード書いてたってことですか?それって大事ですよね。ロジックが分かるためには。

美島:そう。だから、基本的な構造は全く変わってないじゃないですか。メモリがめちゃめちゃ増えてCPUが速くなっただけで、中で動いている論理はノイマン式じゃないですか。そこはちょっとよかったな(笑)。

マスヤマ:でも、そこのところが他の人と違いますよね。音楽やってるのに、ソフトハウスでバイトしようって。なんだか分からないでやってたってことが、よかったわけですよね。

美島:そうそう。メモリの節約の仕方とかさ、当時は64Kしかないじゃないですか(笑)。

マスヤマ:重要ですよね。いかに効率的に、しかもバグなく。今なんてね、デデデって書いちゃえば動くんで。

美島:そうそう。なんでもね。

マスヤマ:最近はメモリ節約することを考える人はいない?

美島:いないですね。今のハードディスクレコーディングだってそうだもんな、今の若いエンジニアが録ったデータって、きたないからな〜。「もうちょっと整理しろよ。」って思うんだよね。録りっぱなしだったりする。

マスヤマ:あはは(笑)。じゃ、そこのバイトはわりとフルタイムに近い感じでやってたんですか?

美島:そうですね。

マスヤマ:で、あまり学校も行かなくなり。

美島:行かなくなり。

マスヤマ:でも、ゼミとかあったんじゃないですか?

美島:ゼミは行ってました。ちゃんと。

マスヤマ:ゼミはどういう傾向の?

美島:えーと。サルトル。そこのゼミは授業が楽だって(笑)。教授が厳しくないっていう。俺、バンドも忙しいしって。

マスヤマ:じゃあ、サルトルに興味があったわけではない?

美島:あ、でも面白かったですよ。サルトル。

マスヤマ:ま、人間的ですよね。

美島:うん。仲よかったヤツがすごい成績がよかったから、一緒に勉強しようよって。フッサールとかメルロ・ポンティとかウィトゲンシュタインとか。その後のポストモダンも、その優秀なヤツがいて本を読んだがために、結構ためになってたりする。大学時代はそんな感じですよね。哲学をやって、パソコン会社のバイトをやって、バンドをやってという。

マスヤマ:で、就職は?

美島:バイトの流れで、その会社に就職したんです。でも、「多分、コレ辞めるな〜。」って思いつつも。それで、コンピューターの会社で働いていた頃は、カメラマンの人と仲良くなって、CMの仕事とか劇版の仕事とかもしてたから、彼の家に泊まって、そこから会社行ったりとかしてましたね(笑)。そこに機材があったんで、朝まで作業やって。それで、ええっと。。。1年ぐらいで会社を辞めました。

マスヤマ:辞めるときには、次のアテはあるわけですよね。

美島:その劇版とかCMとかやってる時に、Emulator llとか高いシンセを使いたくって、それをレンタルしてる会社を呼んだんです。そうしたら「オマエ出来るじゃん。会社を辞めて、こっち来い。仕事いっぱいあるから。」って言われて。で、そこに行った(笑)。そこからシンセのオペレータとして、仕事をするようになった。ものすごい忙しかったですよ。俺、譜面読めて、打ち込めて、さらに、シンセもいじれるから、そんなに便利なヤツはいないって思われて。大体、そういうのってバンドあがりで譜面が読めなかったりとか、オーケストラの楽器をわかってなかったりとか。

マスヤマ:エミュレーターってよく知らないんですけど、5インチのフロッピーとかあって、画面でやるってことですか?コンピュータを繋いで?

美島:そうそう。MIDIで繋いで。

マスヤマ:あ、もうMIDIだ。そっかそっか。もう、CVゲートではない。それで、その後は、どっぷり音楽業界。

美島:それからずっとですね。え、こんなに忙しいの?っていう位忙しかったもん。バブル行くちょっと前です、85年か6年だから。皆登り調子ですよ。

[1985年当時の美島さん]

マスヤマ:当時は、ミュージシャンがいて、オペレーターの人がいて、で、どっちかっていうと作業はオペレーターの人がやってるっていう。そんな感じでしたよね。

美島:うん。譜面を渡されて、ガシャガシャガシャっていう。

マスヤマ:本人の中では、割と自然にいったわけですよね。会社側も多分、便利な人材として認識していただろうし。そうすると、現場でいろんな知り合いが出来てきますよね。そうすると、なんか、「じゃあ今度、美島ちゃん頼むよ〜。」みたいになってきますよね。

美島:そうそう。そう、美島ちゃん、っていう人いたな〜(笑)。「頼むよ、安くしといてよ〜。」みたいな(笑)。いたな〜。「あ、コレが業界なんだ!」って、その時思ったもんな。

マスヤマ:その頃、割と大きな仕事や有名な仕事に関わったことはあるんですか?まあ、スタジオの仕事もピンキリだと思いますが。

美島:一番印象的だったのは。。。なんだろうな〜。やっぱり、細野さんのレーベル。ピチカートとか、あの辺と知り合ったのが、今に繋がる転機だと思うんですよね。あとは、いろんな作家の人に呼ばれてたから。。。三枝(成彰)さんとか、よく呼ばれてたかな。あと、亡くなっちゃった羽田(健太郎)さんとか。宮川(泰)さん、大野雄二さんとか。あと、宮川さんの息子の宮川彬良さんにも結構呼ばれてたし。あとは、ノン・スタンダード周りか。

マスヤマ:じゃ、ポップスっていうよりも、もっと広い意味での音楽。

美島:そうそう。だから、そこでもまた勉強になって。

マスヤマ:オーケストレーションですものね。

美島:そうそう。そういう人たちの打ち込みの譜面がスコアで来るんですよ。打ち込みのパートだけじゃなくて。それで、段々慣れてくると、大野さんなんて「あとは任せた。」って(笑)。

マスヤマ:「以下、よろしく?(笑)」

美島:「え〜、以下よろしくって?。。。じゃ、わかった、この音形でもって、スケールに合わせて、入れていけばいいんだな。」って。そういう風になった時、あったな(笑)。

マスヤマ:それはどういう音が求められていたんですか?

美島:シンセの音で、速いパッセージのシークエンスを入れるっていうような感じだったかな。あとはもうちゃんとした4リズムがあって、ストリングスも入っていたりするから。

マスヤマ:音色の指定とかはどうやって来るんですか?

美島:音色の指定はその場ですね。

マスヤマ:そこで聴きながら。もうちょっと何か、こうしてよ、とか。

美島:段々慣れてくると、「いつもの」って(笑)

マスヤマ:あははは(笑)。

美島:「いつものですね!わかりました!」って(笑)。で、「どう、いつものだっけ??」って。

マスヤマ:ははは(笑)。でも、そうすると、同じ業界でこの人いるな、みたいになってくる訳ですよね。

美島:そうですね。随分年上の作家の人たちは、劇版とか、オペラみたいなので。あとは、歌謡曲。歌謡曲は、星勝さんに可愛がってもらってたことが一時期あったな。あとは、僕と同年代のノン・スタ系の人たち。

[1988年頃の美島さん]

マスヤマ:歌謡曲はどんなのやったんですか?

美島:歌謡曲はね。星勝さんでやったのは、浜田省吾。あと、歌謡曲で一番覚えているのは、中森明菜。本人、来ないんだよ(笑)。

マスヤマ:あの人、歌うまいんじゃないですか?

美島:うまいんだけど、オケを作っているときは絶対来ない。

マスヤマ:ああ。普通来ないんじゃないんですか? 歌謡曲の人って。

美島:いや、でも、キョンキョンとかは来てたからなぁ。

マスヤマ:興味があったんじゃないんですか。それ。キョンキョンの方が珍しいのでは

美島:そっかそっか。キョンキョンの方が珍しいのか。でも、今はそっちが全然普通になっちゃってるからね。

マスヤマ:まあ、皆アーティストっていうくらいだから。来ないのが、普通じゃないですかね。他の事で、稼いでるわけだから。タレントさんで、アーティストじゃないから。当時、美島さんのやっていたことって、裏方ですよね。スタジオマンとミュージシャンの間みたいな感じですよね。

美島:そうです。

マスヤマ:マニュピレーターか。

美島:いわゆる。それをやってました。

[この時期に美島さんが関わった曲としては、中森明菜の「TATTOO」や「I MISSED "THE SHOCK"」、小泉今日子の「Inner Beauty」など。]

2014-01-27 | Posted in | Comments Closed