美島豊明インタビュー The man behind Cornelius

大学受験・大学時代

マスヤマ:大学受験の頃の美島少年は、どういう少年だったんですか?

美島:受験する意味が全く分からなくって、でも周りは受験するっていうから、一応皆が受けるようなところを受けてみようかと。勉強なんかしてなかったから、受かるわけなかったけど。。。(笑)

マスヤマ:大学受験をする意味がわからないってことは、就職する意味もわからなかった?

美島:そう、自分が何になりたいのかが、わからなかったっていう。いい会社に勤めたいとか、役人になりたいとか、それなりのコースがあるじゃないですか。皆、それで行くんだろうけど、自分は音楽やりたかったし、音楽やりたいけど、芸大っていう感じでもないしな〜って。

マスヤマ:ポップスだから。

美島:そう。じゃ、何?バークリーとか行きゃいいの?結構その頃ってバークリー行く人とか出始めてたから。そうなのかな〜とか思ったりして。

マスヤマ:でも、バークリーって、どっちかって言うとジャズですよね。楽器がバリバリ出来る人の学校ですよね。

美島:そう。なんか違うな〜と思って。なんか、納得できなくって。

マスヤマ:あこがれるような人もいなかった。この人みたいになりたいとか。

美島:うん。何かぼんやりとよく分からなかったし。正直そんなところですね〜。

マスヤマ:で、受験勉強したんですか?

美島:浪人したんです。それで、浪人のときは予備校に行ってなくて、はじめはうちを手伝ったりとかしながら考えてて。それで、ちょうど6月くらいに、やっぱ大学行こうと思って勉強始めて。

マスヤマ:やっぱり、現役で大学行った友達と比較して、俺も行かなきゃと?

美島:一番仲良かったヤツが、早稲田の文学部に行ったのかな。それで大学の話とかして、その時に教科書を見せてもらって、読んだら結構面白かったんです。哲学入門みたいな、そういう教科書だったと思う。で、ああ、コレちょっと面白いな、と思って。これをとりあえず勉強すれば、俺が疑問に思っている解答じゃないけど、なにか糸口になるかなと、思って。

マスヤマ:そういうことに興味を持つ人って、中学高校ですでに読みかじったりしてません?

美島:教科書の副読本みたいのあるじゃないですか。その副読本のさらに下の方に、エピソードみたいなのが書いてあるじゃないですか。それが、俺大好きで(笑)。
こんなに偉いことをやっているのに、コイツは借金だらけだったとか。実は。。。みたいな。「ああ、こういうのをやっていいんだ。大学行くと、そこまで調べていいんだ。なんだ、高校ってつまんないことを教えているんだな。」と思って。

マスヤマ:要するに知的な興味を満足させてくれそうだと。それを、その早稲田の文学部の人に聞いたりとかして、少しモチベーションが上がったんですね。それって重要ですよね、就職なんとかっていうよりも。

美島:就職は全く考えてなかった(笑)。あ、こんな面白いことがあるんだっていう。

マスヤマ:そういう意味では、もともと世の中のしくみとかに興味があるんですね。

美島:まあ、そうなんでしょうね。

マスヤマ:人によっては、天気がどうなるんだろう?とか、物が落ちるって?とか、物のしくみに行く人もいるわけじゃないですか。そうじゃなかった訳ですね。どっちかっていうと、世の中だったり、人の気持ちだったり。。。で、受かって。大学入ると開放感があるじゃないですか。それで、バンドを始めたんですか?

美島:始めました。全く新しいメンバーで。大学に入って、どうしようかなと思っている時に、昔からの友達で一コ上の先輩、僕が習っていたピアノ・エレクトーン教室の息子さんに誘われて。その人はベースで、僕はキーボード担当でした。

マスヤマ:アレンジも美島さんがやっていたんですか?

美島:バンドの中で僕が一番年下だったから、そこまではやってない。それで、ボーカルの女の子が、すごく歌が上手かったんですけど,当時の法政っていうのは学生運動がまだ残っていたんですよ。それで、彼氏が出来たんだけど、それが学生運動バリバリの彼氏で(笑)。「アタシ、こっちやるから、バンド辞めるわ。」って。

マスヤマ:えー!もったいない。

美島:バンド解散ですよ。新しいボーカルの子も入れてみたけど、この子を越えられなくって。何人か替えてみたんだけど、やっぱダメでしたね。

[1982年 21歳の頃の美島さん。当時はバンドでキーボードを担当。]

マスヤマ:結構、プレイヤーとしてバリバリやっていたんですね。

美島:大学の時はね。別にまだ、打ち込みとかないですからね。80年代初期だから、学生に買えるものじゃないっすよ。808とかも出てたけど、当時は二十何万だから。

マスヤマ:で、そのバンド、いいところまで行って、レコード会社が見に来る寸前まで来ていた。そのボーカルの子がやめなければ、もう少し、行ってたかもしれない。

美島:かもしれないですね(笑)。

マスヤマ:当時の音源を聴かせてもらったんですが、あれだけ出来れば可能性はありますよね。それで、解散してからは?

美島:「僕も抜けるわ。」って抜けちゃった。大学3年くらいだったかな?「なんか違うな。」と、煮詰まって。。。結構、やってることが黒っぽいじゃないですか。俺的には、そうじゃないのが好きだったから。。。それで、当時、バンドとは別に宅録をやってて、その曲をたまたまカメラマンの人が聴いて、一緒に何かやらないかって言われて。「ちょっとCMやってみないか?」って言われて、それがプロ初仕事ですよ。大学4年の頃だったかな?

マスヤマ:テレビのCMの音楽ですか?

美島:テレビのお酒のCMだった。探したんだけど、このデビュー作の音源が全くないんですよ。日本酒の黄桜かなんかのCMだったと思います。それが、お金を貰った初仕事。15秒ぐらいの曲をつくって、当時は6ミリ納品ですね。ちっちゃなシーケンサーがあって、それに全部やったかな〜。そのカメラマンの人が機材マニアでいっぱい持っていたんで、貸してもらって。

マスヤマ:その頃はYMOとか流行ってましたよね。

美島:YMOは、もう全然流行ってました。うん。

マスヤマ:ですよね。と、いうことは、世の中的な気運はそういうエレクトロっていうか。。。なんて言うの?テクノか(笑)。で、自分はこっちだなっていう感じだったんですか?

美島:うーん、そういうカテゴリーがあるのかすら、分かってなかったから。YMOはね、そんなに聴いてないですね。

マスヤマ:音楽ファンとかが喜んでいたわけじゃなくて、普通の人たちが「ライディーン」とかを喜んでいたというか。

美島:そうそう。だから、最初のファーストとかセカンドは聴いていたんだけど、周りが騒ぎ始めたころから、あえて聴かなくなっちゃった(笑)。

マスヤマ:うん。わかります。当時のYMOは、矢沢永吉を聴いてる人たちが聴いてたっていうイメージがありますね。

美島:あ〜。あと、小学生。昨日、まりんがスタジオに来てたんだけど、まりんとかは小学生くらいでYMO大好きって。

マスヤマ:もう10数年前ですが、砂原くんは何回か会った事あります。90年代中期で個人のWebコンテンツが出始めていた頃、いろんなクリエーターにコンテンツを提供してもらうサイトをプロデュースしていて、それに曲というか音源を出してもらったんです。

彼はクラフトワークも大ファンだから、私がヨーロッパ行ってクラフトワークのライブ観たとき、クラフトワークの自転車用ジャージみたいのを買って、帰国後プレゼントしたら凄く喜んでくれて、メシをおごってもらったことがあります。年下にメシおごってもらったのは初めてだったな(笑)。

2014-01-16 | Posted in | Comments Closed