コトの経緯 mishmash*関係者インタビュー

第6回:弁慶(76477) (前編)

アルバム『mishmash*Julie Watai』には未収録ながら、ここ最近の彼らのライブのアンコールで必ず演奏されていた『起電力ロマンス』が、ついにリリースされる。フル・バージョンのMVも公開された。
電子工作ネタと甘酸っぱい恋愛ネタが交錯するコミカルな歌詞、キャッチーなメロディ。まるでJulie Wataiに歌われるために作られてきたように思えるこの曲だが、実はカヴァー曲。
原曲を演奏しているのは自作電子楽器愛好家界隈でも知る人ぞ知る76477なる音楽ユニット。
果たしてmishmash*プロデューサー、マスヤマ氏は、どこから、どうやってこの隠れた名曲を見つけ出してきたのだろうか?
作詞・作曲者としてクレジットされている弁慶氏にお会いしてきた。(取材・文:菅原英吾)

菅原英吾(以下A5):ご出身はどちらなんですか?

弁慶:親父、お袋は東北、宮城のほうなんです。私は生まれが東北で、育ちは横浜ですね。横浜市の北のあたりです。

A5:最初に音楽に興味を持ったきっかけは?

弁慶:原体験はおそらく、ジャクソン5ですね。8トラックのカセットが家にあって、それで聴いていて。

ジャクソン・ファミリーの兄弟5人によって編成された、ソウル/ファンクグループ。1979年にデビュー。リード・シンガーは、後に世界的なスーパー・スターとなるマイケル・ジャクソン。

A5:8トラックって、一般家庭にも普及していたんですか?

弁慶:本来はカーステレオ用だったんですけど、親父が車から外して家で聴けるようにしていたんですね。

A5:お父様は音楽好きだったんですか?

弁慶:いや、親父は音楽はあまり得意じゃなかったと思います。じゃあなんで家にそういった洋楽のカセットがあったかというと、叔父の影響じゃないかと思います。叔父は、自分のことを”ビートルズ・エイジ”だと言っているような人で、音楽好きだったんです。それで色々な音楽を聴ける環境だったんですね。

A5:なかでもジャクソン5が印象に残っているのは、どうしてなんでしょう?

弁慶:聴きながら、拍子をとる位置を後ろのほうにすると格好いいな、ということに気づいたんです。いわゆる裏のリズムってやつですよね。それに目覚めたのがジャクソン5でした。

A5:早くもダンス・ミュージックのグルーヴ感を会得していたわけですね。

弁慶:小学校高学年頃には、洋楽ブームがありました。

A5:今では洋楽を聴く若い人ってかなり減っているみたいですが、70〜80年代は、まだ洋楽が、すごく格好良いものでしたね。

弁慶:当時『明星』という雑誌がありまして……。

A5:アイドルやタレントの写真が沢山載っている芸能情報誌ですね。(現在の誌名は『Myojo』)

弁慶:当時の『明星』って、洋楽の歌詞が掲載されていたんですよ。英語の歌詞の下にカタカナでルビが振ってあるんですが、それを見ながら歌って”ああ! 今オレ英語歌えてるぜ、カッコイイ”なんて思ってましたね。

A5:歌うのが好きだった曲は?

弁慶:ビリー・ジョエルの『素顔のままで』とか……。

ビリー・ジョエルはニューヨーク出身のシンガーソングライター/ピアニスト。1973年にデビュー。1970年代後半から1990年代前半にかけてヒット曲を連発した。『素顔のままで』は1977年のアルバム『ストレンジャー』に収録されており、グラミー賞最優秀レコード賞も獲得している。

A5:音楽以外には、どんなことが好きでしたか?

弁慶:本当はSF作家になりたかったんです。いえ、今でも最終的にはそこが目標なんですが。

A5:そうなんですか! どんな作家が好きなんですか?

弁慶:筒井康隆、小松左京、眉村卓……。ジャクソン5に目覚めるよりちょっと前くらいのことです……。

A5:早熟ですね。小学生にはちょっと難しくないですか。

弁慶:最初は、子供向きに、やさしく書いてあるものから読み始めたんです。ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』とか、ヒューゴー・ガーンズバックの『27世紀の発明王』とか。

A5:弁慶さんの書くSFテイストの歌詞の素養は、その辺りの読書によって培われていったんですね。電子工作やもの作りネタの歌詞も多いですが、電子工作への興味はいつ頃から?

弁慶:小学生の頃はラジコン少年だったんです。

A5:ラジコン……。私も子供の頃、田宮のラジコン・キットが欲しかったです!

弁慶:ラジコンがきっかけで、メカの仕組みや回路というものに興味を持つようになっていきましたね。

A5:インベーダー・ブームの頃は何してましたか?

弁慶:中学生でした。塾の帰り道にインベーダー・ハウスがあって、こっそり遊びに行ったり。日曜日はバッティングセンターに行ってインベーダー・ゲームをしていましたね。バットを振るよりもインベーダー、という中学生でした。

A5:インベーダーが電子回路に興味を持つきっかけになったのでは?

弁慶:う〜ん、本格的に電子工作をやりたいと思うようになったのは、インベーダーより少し後、YMOが出てきた頃ですね。

細野晴臣、坂本龍一、高橋ユキヒロの三人により結成されたテクノ音楽ユニット。1978年にファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』を発表。1980年代初頭のテクノ/ニューウェーブ・ムーブメントの中心となって活動していた。

弁慶:YMOが出てきて衝撃を受けて、YMOみたいな曲を演奏してみたいということと、YMOが使っている楽器や機材のようなものを作ってみたい気持ちが同時に起こったんです。

A5:実際に電子楽器を作ったんですか?

弁慶:楽器らしき物を作れるようになったのは、もっとずっと後のことですね。中学生のときは、雑誌に載っている回路図を写したりしながら、”この回路はこういうふうにして動くんだ”ということを少しずつ積み重ねて勉強していってました。

A5:楽器を演奏するほうは、いつ頃、どうやって始めたんですか?

弁慶:中学生の頃、ピアノが弾きたくて、こっそり体育館に忍び込んだりしていました。

A5:体育館のピアノって、気持ちいいですよね。

弁慶:リバーブがかかりますからね。夜中に勝手にピアノを弾いていて、体育教師に怒鳴られたこともあります。

A5:リバーブの奥から体育教師の怒鳴り声がw

弁慶:その後、安物のベースを買ったこともありました。YMOのなかでも細野晴臣さんに憧れていたので。そのベースは誰かに貸したまま返ってこなくなってしまいましたけど……。

A5:シンセサイザーよりも先にベースをやっていたんですね。

弁慶:”初めてシンセ”は、高校の入学祝と春休みのバイトで買ったKORG MS-20です。

A5:おおっ! 名機ですね。

KORG MS-20は1978年に発売されたモノフォニック・シンセサイザーの大ヒットモデル。当時の回路を再現しつつも小型化した復刻モデルMS-20 miniが、35年後の2013年に発売された。

A5:作曲を始めたのは、いつ頃からなんですか?

弁慶:高校二年生の頃です。

A5:どんな曲を作ったんですか?

弁慶:YMOやクラフトワークの真似事から始めました。そうですね。クラフトワークに『アウトバーン』という曲があるんですが、日本でアウトバーンって言ったら何だろうな、と想像して、両親が田舎に帰るときに使う東北自動車道のイメージで曲を作ったんです。

A5:クラフトワークも好きだったんですね。

弁慶:クラフトワークは、楽器だけでなく、スタジオを自分たちで作るというところから始めているんですよね。そのDIY精神というのが、たまらなく格好良くて。

 ★ ドイツの電子音楽グループ。ファーストアルバム『クラフトワーク』は1971年に発表。『アウトバーン』は四枚目のアルバムで1974年に発表されている。2013年5月には専用メガネをかけてステージを鑑賞する3Dコンサートのため来日していた。

A5:作詞も同時期に始めたんですか?

弁慶:作詞は高校二年生の後半頃からですね……。

A5:どんなことをテーマに作詞していたんですか?

弁慶:そうですねえ……。ごく普通に、いかにもポップスっぽいことを書いていたと思います。今のような電子工作ネタなんて全然出てこなかったですね。ちょっと社会情勢のことがわかってくるような年齢なので、そういったことを風刺してみたりとかはしていました。

A5:自作曲の録音はどのように行っていましたか?

弁慶:オープンリールデッキを二台並べて、こっち側で再生しながら、自分で演奏して、こっち側で録音するという方法でやっていました。中学生のとき、録音機材を使いたくて放送部に入って、そこでオープンリールで録音することの楽しさにハマっていたんです。

A5:オープンリールデッキを二台も持っていたんですか?

弁慶:廃品回収の日に拾ってきたんです。昔は、各地区の廃品回収の日時を調べて、ドライバー一本持って、朝から自転車で行って、欲しい部品を集めたりしていたものです。

A5:リズム、ベースライン、コード、メロディといったパート構成というのは、どのように学ばれていったんですか?

弁慶:例えば隣の部屋で音楽を流していると、ドラムのキック音だけとか、ベース音だけが、よく聴こえてくるじゃないですか。そういうことがきっかけで”あ、ベースだけだと、こんな風に聴こえるんだ”というようなことに気づいて、分析的に曲を聴くようになりました。YMO 『ライディーン』や『テクノポリス』などは、そうやってかなり分析的に聴いてましたね。

A5:バンドはやってなかったんですか?

弁慶:やっぱりバンドには憧れていたので、高校二年生のときにやったことはあります。文化祭バンドですけれども。

A5:どんなバンドだったんですか?

弁慶:一風堂のカヴァー・バンドです。

 ★ 1979年にデビュー。初期は実験色の強いニューウェーブ系のロックバンドだった。1982年にリリースした『すみれ September Love』がカネボウの化粧品のCMに採用され、大ヒットした。

A5:一風堂をカヴァーするなんて珍しくないですか。

弁慶:そうですね。当時ウチの高校ではバンドをやるといえば、ハードロックかフォークか、どっちかしかなかったですから。テクノやニューウェーブのバンドだと、メンバーを集めるのも大変でした。

A5:バンドではやはりシンセサイザーを担当したんですか?

弁慶:いえ、私はドラムをやったんです。他にメンバーはボーカル、ギター、キーボードが二人という五人組でした。

A5:ベースがいなくて、キーボードが二人というのは、かなり変則的な編成ですね。

弁慶:YMOのカヴァーバンドだったら、もっと人が集まったのかもしれないですね。素直にYMOをやらないというのが、ちょっとひねくれたところでした。

A5:電子工作に、音楽に、と好きなことを目一杯楽しんでいた少年時代だったんですね。

弁慶:でも、音楽や、半田ごてを握っていることが楽しくて、受験勉強をまったくしなかったんです。シンセデザイン研究会というサークルのある大学に入りたくて受験したんですが、一問もできなくて泣いて帰ってきました。それで、高校卒業後は音響系の専門学校に進学しました。

A5:PAやレコーディングの勉強をしたんですか?

弁慶:いえ、音楽機材を使うほうではなく、設計をするほうの学科ですね。

A5:ちゃんと自分のやりたい方面に進んだわけですね。

弁慶:そうですね。その専門学校在学中に『サウンド&レコーディング・マガジン』に載っていたZOOMの求人広告を見つけました。

A5:昔は雑誌によく色んな企業の求人広告が載っていましたよね。最近は少ないように思いますが……。

弁慶:それで
学校に相談したら”それじゃお前さん、自分で行ってらっしゃい”ということで、履歴書を作って、電話して、面接して……。それで専門学校を卒業したあとZOOMにお世話になることになりました。

A5:憧れの電子楽器メーカーに就職! 順調じゃないですか! 当時ZOOMは創業したばかりの会社だったと思うんですが、どんな会社でしたか?

弁慶:私のいた頃はまだKORGのドラムマシンの開発をやっている会社でした。ZOOMの創業時の幹部の四人というのは、元々KORGの方なんですね。社長は、KORGでMS-20を設計した方だったんです。

A5:おおー。”はじめてシンセ”の設計者の下で働けるなんて嬉しいですね。

弁慶:MS-20の回路というのは本当に巧みにできているんです。”あの回路はどうなってるんですか?”と尋ねても、”ふふっ”と笑って、簡単には教えてもらえなかったです。

A5:弁慶さんはZOOMで、どんな製品作りに関わったんですか?

弁慶:KORGのDDD-5というドラムマシーンの、メモリーカードを挿す部分の基板の設計を担当しました。なかなかOKをもらえず、何度も図面を書き直したものです。

【近日公開予定の後編に続きます】

※弁慶氏が設計に参加したKORG DDD-5については、こちらをご覧ください(外部サイトへのリンクです)。http://www.vintagesynth.com/korg/ddd5.php

弁慶(76477)弁慶=作詞/作曲家としての名義
76477=自作曲をライブ演奏する際の名義
他、活動内容により複数の名義を使い分けている。ラッキングを本業としつつ、作詞作曲、ライブ活動、電子回路・電子楽器の自作をライフワークとしている。実はカエル型電子楽器ケロミンを開発する有限会社トゥロッシュにも勤務。SoundCloud
https://soundcloud.com/benkei76477YouTube
http://www.youtube.com/user/benkei76477/videos

ライブ出演予定
2013年7月 板橋 Dream’s Cafe